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2010年5月の8件の記事

2010年5月27日 (木)

<違憲判決>労災で顔にやけど「性別で差」は違憲…京都地裁

リンク: <違憲判決>労災で顔にやけど「性別で差」は違憲…京都地裁(毎日新聞) - Yahoo!ニュース.

 金属を溶かす業務中にやけどをし、顔に跡が残った京都府の男性(35)が、女性より低い等級の障害認定しか受けられなかったのは男女平等を定めた憲法14条に反するとして、国に認定取り消しを求めた訴訟の判決が27日、京都地裁であった。滝華聡之裁判長は、労災で障害補償認定の基準となる障害等級表について「著しい外見の跡(醜状障害)についてだけ性別で大きな差が設けられているのは著しく不合理で違憲だ」として認定の取り消しを命じた。原告の代理人弁護士は「障害等級表を違憲と判断した判決は初めて」としている。
 判決によると、男性は精錬会社に勤めていた95年11月、作業中に溶けた金属をかぶってやけどを負い、胸や腕、ほおに跡が残った。園部労働基準監督署は04年4月、労働者災害補償保険法に基づく障害等級表で11級と認定した。
 同法は「やけどの跡で受ける精神的苦痛は女性の方が大きい」として、同じ顔でも女性が男性より高い等級になると規定。このため男性側は、男だとの理由で同様の労災に遭った女性より低い等級の認定しか受けられず、憲法に反すると主張していた。
 判決は「障害等級表では年齢や職種、利き腕、知識などが障害の程度を決定する要素となっていないのに、性別だけ大きな差がある」と指摘。この定めは「合理的理由なく性別による差別的扱いをするものとして憲法14条違反と判断せざるをえない」と結論付けた。【古屋敷尚子】

 なかなか画期的な判決だ。自賠法の後遺障害等級表では外貌に著しい醜状を残した場合、女性は7級(相当慰謝料1000万円)、男性は12級(相当慰謝料290万円)としている。他方20歳の女性であろうと80歳の女性であろうと等級に違いはない。やはりどう考えても不合理な差別だろう。
 自賠法の等級表は実務では交通事故以外でも損害賠償事件一般で基準として用いられている。しかしそれは一見して穴だらけで、どうしてこの障害でこの等級なのだろうと首をかしげるものが少なくない。醜状痕でいえば単なる外貌醜状は女性の場合12級だ。しかし実際には醜状は軽微なものから著しいものまで連続している概念であり、本来であればその程度に応じて7級~14級まで分類されるべきだろう。しかし今の等級表だと顔面に鶏卵大以上の瘢痕を残すと7級、それ以下は全て12級、10円銅貨大以下は非該当とされている。
 たしかに大量の交通事故事案を処理しなければならない自賠法上の障害認定では、一定の画一的な処理が必要だがいくら何でもこんな大雑把な基準はそれ自体不合理だろう。しかも保険実務どころか、裁判で争う場合でも、ごく少数の例外を除き弁護士も裁判官も誰も疑問に思わずに7級か12級かの画一的処理をするのが一般だ。しかし民事裁判にまで至った場合は画一的処理の必要性はないので、本来、醜状の程度に応じて7級~14級まで裁判所が自ら認定すべきものだろう。
 今私がやっている医療過誤事件でも、後遺障害の程度が争点になっていて、現実に歩行機能に著しい障害が出ているにも関わらず、等級表の認定基準と認定方法をそのまま使うとどの等級にも当てはまらなくなってしまうという事案がある。現在の自賠法の等級表は合理的な部分もあるのだが、とても全ての後遺障害を適切に認定する基準にはなっていない。
 それもそのはずで、沿革を辿れば、明治44年制定の工場法施行令第7条が昭和11年に改正され、その別表において身体障害等級及び障害扶助料第1級から第14級までが定められた。これが自賠法後遺障害等級表の原型である。そしてこの別表はその後大きな修正もなくほとんどそのまま今日の自賠法後遺障害等級表(労基則、労災則の別表障害等級表も同じ)に踏襲されている。戦前に作られた、しかも法律そのものではない単なる政令がそのまま今も使われているのは驚きというほかない。
 今回の判決を契機に、現在の医学的知見と市民の常識を取り入れて後遺障害認定のための新たな立法がなされるべきだろう。
 また労災や交通事故の事件で違憲の主張をすることなど普通は考えつかないものだ。この原告代理人の弁護士とその主張を認めた裁判官は、極めて柔軟な発想の持ち主なのだろう。弁護士としては実務の慣行に流されることなく不合理なことは不合理だと主張すべきことの重要性を痛感させられた。

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2010年5月26日 (水)

医療過誤訴訟判決の報道の在り方  匿名報道は適切か

 5月24日に私が原告代理人の医療過誤訴訟(死亡事故)の判決があった。被告は医療法人将道会(総合南東北病院)だ。被告の過失を認め、2000万円余りの支払を命じる内容の判決だった。この判決について読売新聞は法人名、病院名共に実名で報じたが、河北新報は匿名にした。
 私は20年近く医療訴訟をやっているので河北新報の報道の変遷はよく分かる。かつては提訴段階から病院名を実名で報道していた。事案によっては診療所であっても実名報道していた。その後提訴段階では大学病院や国公立病院を除き匿名報道になった。さらに最近では和解で終了した場合も匿名となり、今回ついに判決の場合も匿名報道になった。これは医療訴訟に限らず他の民事訴訟も同様の傾向にある。
 もっとも昨日京都地裁で判決があった「日本海庄や」の過労死判決は実名報道だったので匿名原則を守っているわけでもないようだ。社会的影響の多寡で区別しているのだろうか。他方刑事事件に関しては以前として逮捕時点で実名報道している。
 どのような場合に匿名にすべきかは難しい問題だとは思う。提訴段階ではよほど社会的影響が大きい場合を除けば匿名にするのが適切だろう。現に医療過誤訴訟で原告の弁護士が記者会見しマスコミがそれを報道したケースで、後にその弁護士と報道機関が名誉毀損で訴えられ敗訴したことがある。 
 しかし判決がなされた場合にまで匿名にするのはおかしい。もちろん私人の私生活の平穏を守る必要はあるので、裁判が公開だからといって全て実名で報道してよいわけではないと思う。純然たる私人の場合は判決の場合も匿名にすべきだろう。しかし「正当な社会的関心の対象」の場合は実名報道が原則だろう。例えば弁護士や医師の場合は、私人ではあるが特別な資格と責任を課された者であり、その在り方は「正当な社会的関心の対象」であるから、実名報道を甘受すべきだ。総合南東北病院は271床を有する総合病院で救急指定病院でもある。病院以外に訪問看護サービスなど様々な事業も行っている。地域住民にとっては疑いもなく「正当な社会的関心の対象」だろう。
 私は別に実名報道して社会的制裁を与えるべきと言っているわけではない。「正当な社会的関心の対象」について、一般市民が関心を持ち議論するような事象が起きた場合は、その事実を報道することが報道機関の社会的役割であり、民主主義の基本だと考えるだけだ。報道をきっかけに医療の安全や救急医療の在り方について市民が関心を持ち議論しうるということが重要だと思う。その意味では起訴もされていない逮捕段階で私人を実名報道するのはおかしいと言うべきだ。
 河北新報がポリシーを持って現在のような匿名報道をしているならそれはそれで一つの考え方とは思う。しかし私の知る限りかつて商品先物取引会社を実名報道してクレームを付けられたケースや医療過誤訴訟の和解内容の報道の仕方で病院からクレームを付けられたことがあった。どのような対応をしたのかまでは知らないが、もしそのようなクレームを避けるために匿名報道しているなら問題だと思う。不当なクレームに対してはきちんと弁護士を頼んで戦うべきだろう。近時名誉毀損訴訟で報道機関が敗訴するケースが顕著に増え、賠償額も高額化している。もちろんペンの暴力と評すべきことが起きているのは事実で、名誉を守ることも重要ではあるが、それが行き過ぎて正当な報道が萎縮することのないようにしてもらいたい。河北新報は最近の「変えよう地方議会」の連載をはじめ健全な報道機関として高く評価している。それだけに匿名報道の在り方については今一度議論して欲しいと思う。

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2010年5月19日 (水)

日弁連の新規登録弁護士研修ガイドラインについて

 全員協議会の事前配付資料に、日弁連が制定した「新規登録弁護士研修ガイドライン」という文書があった。平成11年に制定され、平成21年6月一部改正(正副会長会承認)とある。このようなガイドラインがあること自体初めて知ったが、その内容を見て驚いた。そこには、3実施時期として「このガイドライン(改正)は平成21年9月から実施する。」、4義務化として「(1)各弁護士会において、会則に新規登録弁護士に対する『研修義務』及び新規登録弁護士を雇用する弁護士に対する『研修協力義務』を定める。(2)義務化の程度①必修項目については義務化する。義務違反者に対しては勧告制度を設け、正当な理由なく勧告に従わない場合については懲戒対象とすることができる。②選択項目については努力義務とする。」と記載されている。
 日弁連にはガイドラインという形式で各単位会に会則制定を命じる権限があるのだろうか。弁護士法45条2項は「日本弁護士連合会は・・・弁護士会の指導、連絡及び監督に関する事務を行うことを目的とする。」とし、日弁連会則も3条で同様の規定を設けている。同会則31条は、各単位会が会則を制定、変更した場合の日弁連への報告義務を定めている。日弁連が各単位会に会則制定を命じる明示の根拠規定はない。そして31条が特に報告義務を定めていることからすれば、3条の「指導」「監督」に根拠を求めることはできないというべきだ。結論として日弁連にはそのような権限はないと思う。
 では「ガイドライン」とはどのような効力を有するものなのか。日本語に直せば指針だが、日弁連がどのような場合にどのような機関決定をもって指針を定めることができるのか、どのような効力を持つのかについては会則上規定はないようだ。結局3条の「指導」「監督」に根拠を求めることになるのだろう。となると結論としては単位会にはガイドラインを尊重する義務はあっても、従う法的義務はないということになる。本ガイドラインでも冒頭で「各弁護士会においてはこのガイドラインを指針として新規登録弁護士研修を実施するに当たって、それぞれの弁護士会の実情に応じて柔軟かつ自主的な運用がなされるべきであり」と書かれているから強制はしないということなのだろう(本来強制する権限などないのだから当然だが)。
 しかし強制力がないから自由にどんなガイドラインを作ってもよいということではないはずだ。単位弁護士会は弁護士法31条に基づいて設立される独立した法人であって日弁連の下部機関ではない。弁護士法が日弁連に単位会に対する指揮命令権を与えていない以上、両者の関係は指導監督は受けつつも対等であり、上命下服の関係にはない。それがたかだか「正副会長会」が、単位会の自主規範である会則の制定を内容とするガイドラインを作ることなど許されるのだろうか。少なくとも単位会への意見照会を経て、理事会決議をもって改正が行われるべきだろう。日弁連は、日弁連会長副会長は会社の社長、副社長で、単位会は支店に過ぎないと考えているのだろうか。強制力がないといっても、ここまで詳細なガイドラインを作られてしまうと、実際上はガイドライン通りの会則が単位会で作られることになる。社長副社長から右を向けと言われれば支店長は右を向かざるを得ないだろう。
 このガイドラインには「新規登録弁護士が、これから責任ある立場の法曹実務家として独り立ちして行くにあたって、登録当初に最低限習得しておくべき項目についての研修指針を定めるものである」と書かれている。弁護士法3条は「弁護士は訴訟事件その他一般の法律事務を行うことを職務とする」とし、同法4条は「司法修習生の修習を終えたものは弁護士となる資格を有する」と定める。責任ある立場の法曹実務家として独り立ちして行けるだけの修習を終えたからこそ、無限定の法律事務を行える資格を付与されるのである。そうでなければ修習を終えさせてはならないというのが弁護士法の趣旨であろう。弁護士法はそもそも研修を義務づけなければならないような者に弁護士資格を与えることは予定していない。だからこそ日弁連が出来て60年間研修の義務づけなどはされてこなかったのだ。
 新規登録弁護士研修の義務化は、無謀な弁護士増員と無定見な司法修習の短縮の尻拭いであり、弁護士会は弁護士の質の維持に努めていますよという世間向けのポーズに過ぎない。ここまで新規登録弁護士を半人前扱いするのならいっそ正面から弁護士補の制度でも導入すべきだろう。私は、現在の新規登録弁護士が研修を義務づけなければならないほど能力が低下しているなどとは思わない。仮に増員・司法修習短縮前と比較して能力低下が見られるのであれば、むしろ正面から合格者数減と司法修習期間の延長を求めるべきだろう。それをしないでおいて新規登録弁護士研修の義務化でお茶を濁そうなどという発想をするべきではない。
 日弁連会則12条は「弁護士は法律学その他必要な学術の研究に努めるとともに、たえず人格を錬磨し、強き責任感と高き気品を保たなければならない」とし同15条は「弁護士の本質は、自由であり、権力や物質に左右されてはならない」と定める。バッチを付けたその時から弁護士の職責を果たせるよう自己研鑽に励むのは当然のことであるが、それは決して他人から強制される筋合いのものではない。新入会員は弁護士会の新入社員ではない。自由で独立したプロフェッションなのであって、そのような存在の者に対して懲戒までちらつかせて研修を義務づけるがごときは思い上がりも甚だしい。私は会員相互が権利義務において平等であり対等であることは弁護士会にとって絶対の原則だと思っている。新規登録弁護士に対し十分な研修の機会を保障すべきは当然だと思うが、義務化は弁護士の本質と相容れない。たかが新規登録弁護士研修の義務化なのに大げさだと言われそうだがそうではない。必要なのだから義務化して何の文句がある、有用なんだから義務化するのは当然だという風潮に一旦なってしまうと歯止めが利かなくなる。弁護士の自由と独立は権力に対してだけではなく、日弁連、単位会との関係でも保障されなければならないと思う。
 残念ながら仙台会も日弁連のガイドライン通りの会則を制定するようだ。日弁連に言われれば何でもやる、日弁連株式会社○○支店という風潮のなか、せめて仙台会だけでも根性を見せて欲しいと思っていたが残念だ。

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2010年5月18日 (火)

仙台弁護士会の新規登録弁護士研修に関する会規制定について

 今週末開催される仙台弁護士会の全員協議会が開催される。今日追加協議事項が配布されたが、「新規登録弁護士研修に関する会規制定の件」が協議されるようだ。聞くところによると新人弁護士にに研修受講義務を課すもののようだ。
 司法修習が1年に短縮されたが、法科大学院での教育は十分とは言えない。他方、就職難で、今後弁護士登録と同時に独立する新規登録者が増えることが予想されることに対応しようとの意図だろう。平たく言えば、弁護士激増(急造)政策によって能力に疑問のある者が司法試験に合格している懸念がある、また司法修習が1年に短縮されたために合格後の教育が不十分で法的知識が不十分なままで弁護士登録している可能性がある、さらに即独立となると勤務弁護士としてOJTを受ける機会もない、このままでは能力、知識に劣った弁護士が法的サービスを提供することになって市民に迷惑をかけそうだから、せめて研修を強制的に受けさせようということだろうか?
 しかしこのような研修の義務化は弁護士法に矛盾するのではなかろうか。弁護士法4条は「司法修習生の修習を終えた者は弁護士となる資格を有する。」とし、同法3条は「弁護士は・・・訴訟事件・・・その他一切の法律事務を行うことを職務とする。」と定める。弁護士の資格要件は司法修習を終えることだけであってそれ以外のことは要求されていない。2回試験に合格して国から訴訟事件その他一切の法律事務を行うことを許されているにもかかわらず、仙台弁護士会はそれでは不十分だから研修を受講しろ、受講しなければ会規違反(弁護士法22条は弁護士に会則遵守義務を課している)で懲戒するというのである。国は認めても仙台弁護士会は許さんということがあってよいのだろうか。
 もし本当に仙台弁護士会が司法修習修了者を研修を受講しなければ法律実務に携わらせることはできないと判断するなら、登録自体を拒否すべきだろう。私は司法修習期間はやはり1年では短く、1年半に戻すべきだと思っている。しかし現に修習期間が1年になった後の弁護士を見ても、登録後に研修を強制しなければならないほど質が低下しているとは到底思われない。研修が必要なのはむしろ登録後20年近く経って、法改正についていけない私のような弁護士の方かもしれない。
 そもそも司法修習の内容は実務家としての基本的技能の習得に尽きるのであって、あとは全て弁護士の自己研鑽に委ねられているのである。司法修習を終了するということは、自己研鑽を積めば依頼者の要望に応えることができるという能力を認定することであって、バッチを付けたからといって何でもできるわけではない。これは昔も今も変わらない。研修受講義務を課すということは、自己研鑽を期待することすらできない者に弁護士資格を与えているという認識を持っているということになるのではないか?それは新規登録者に対して余りに失礼であるし、弁護士という資格自体をあまりに軽んじる考えだと思う。
 たしかに司法修習期間の短縮や就職難によるOJTの機会の不足から、新規登録者の能力に対する不安があるのは事実だろう。また新規登録者の多くは、弁護士会が実務研修をしてくれればありがたいと考えるだろう。そのような新規登録者の要望に応える必要があるのは当然だと思う。執行部もそのような善意から弁護士研修を行おうとしてるのだと思う。しかしそれならば受講機会を与えれば足りることであって、弁護士研修を強要することを正当化する理由にはならない。
 弁護士会として決して曲げてはならない原則があると思う。それは弁護士はバッチを付けたその日から全員が対等平等だということだ。1年目の弁護士も30年目の弁護士も権利義務において対等であり、自由にものが言えるというのが弁護士会と他の組織との違いだろう。仮に新規登録者に対して早く実務的能力を身につけさせたいという善意に出たものとしても、特定の弁護士を区別して特別の義務を課すことに変わりはない。それは会員の平等原則に反するものであってしてはならないと思う。
 さらに言えば、義務づけというものは、当該義務の対象者が「強制しなければやるべきことをやらない存在だ」という認識を前提とする。弁護士をそのような対象と見ることはプロフェッションとしての弁護士像の放棄であろう。もちろんある特定の法律相談や特別の職務を行う者の名簿への登録を希望する場合に、その能力を担保する目的で研修受講義務を課すことは正当化されよう(あまり好きではないが)。それは自ら進んで特別の行為を行うための条件であるから、能力担保の必要性がある限り正当化されよう。しかし新規登録者に対する研修義務はこれとは質が異なる。
 もしかしたら執行部が義務化を考えたのは、事務所のボス弁が「そんな研修など受けなくてよい、黙って事務所の事件だけやっておけ」というような理解のない者の場合であっても、新規登録者が受講の機会を失うことがないようにとの配慮からかもしれない。もしそうなら気持ちは分かるが義務化に賛成はできない。その場合はボス弁を指導すべきだろう。

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仙台市民オンブズマンの「情報公開制度の改正の方向性について」に対する意見書

  内閣府行政刷新会議は、行政透明化検討チームが作成した「情報公開法の改正の方向性について」を公表してパブリックコメントを求めている。仙台市民オンブズマンはこれに対して意見書を提出した。国民の知る権利の保障を目指したもので高く評価される。しかし現在の民主党の状況を見るとこのままの形で改正されるとは思われない。民主党は正しい理念を持っているのだから、選挙対策の政策や目先の政治問題に振り回されることなく頑張って欲しい。せめて取調の可視化法案と情報公開法の改正は実現して欲しい。 

                                               
「情報公開制度の改正の方向性について」に対する意見書

                                        2010年5月13日                                                                     

内閣府行政刷新会議 職員の声担当室 御中
 
      〒980-0021 仙台市青葉区中央4-3-28 朝市ビル3階
                      tel 022-227-9900 fax 022-227-3267
                      仙台市民オンブズマン
                      代表 十  河     弘
 
 仙台市民オンブズマンは,国や地方公共団体等の不正,不当な行為を監視し,これを是正することを目的とする市民団体(1993年設立)です。仙台市民オンブズマンは,これまで上記目的のための活動の中で,行政機関情報公開法や情報公開条例を利用してきていますが,その経験を踏まえ,「情報公開制の改正の方向性について」に対し,以下の6点について意見を述べます。
 
第1 目的の改正について
 
 〈意見〉
   法律の目的に「国民の知る権利」の保障を明記することには,賛成である。
 
 〈理由〉
   情報公開法や情報公開条例を通じて,政府の情報を知る権利は広く社会に浸透していると言える。しかし,法律にそのことが明記されていないため,後述するような行政機関の不当な裁量を許容し,情報公開法の趣旨を没却するような自体が生じている。このような弊害を撲滅し,主権者たる国民が政府の情報にアクセスできるという民主主義の基盤を確立するためには,「知る権利」の明記が是非とも必要である。
 
第2 開示・不開示の範囲等に関する改正(情報公開法5条3号・4号関係)について
 
 〈意見〉
   公にすることにより,国の安全が害されるおそれ,公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれ等がある情報の不開示要件について,それらの「おそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」とあるのを,それらの「おそれがある情報」に改めることには,賛成である。
 
 〈理由〉
   現行規定の下では,行政機関の裁量が極めて広く,開示を求める原告に過度な主張立証責任を課している。そのため,防衛・外交・犯罪捜査情報は,平和,安全保障,国際社会における日本の役割・意義,社会生活の安全という国民にとって最も関心が高い情報であるにもかかわらず,それらが国民には知らされないという不合理な事態を招いている。
   以下では,仙台市民オンブズマンが原告となった不開示処分取消訴訟における情報公開法5条4号の悪用事例を紹介する。
 (事案の概要)
   仙台市民オンブズマンは,検察庁の裏金の温床と疑われてきた「調査活動費」について,仙台高等検察庁に対し平成10年度の調査活動費に関する文書開示を請求した。これについて仙台高等検察庁検事長は全面非開示決定とした。そのため仙台市民オンブズマンは平成13年6月1日非開示決定の取消訴訟を提起した(仙台地方裁判所平成13年行コ第7号)。
 (仙台地裁による検察調査活動費の不正流用の認定)
   この事件で仙台地方裁判所平成15年12月1日判決は,「ア 平成8年度から平成10年度まで増加していたのが,それ以降減少を続け,平成10年度を100とすると平成14年度は14・6まで減少している。これは全国的傾向である。」「カ もともと支出の予測が困難で,臨機に対応できるよう取扱責任者が現金で保管しておく調査活動費が,なぜ毎月繰り越されることなく使い切られていたのか疑問が消えない。」「キ 情報提供者らと面談する際の検察庁職員の交通費などの費用の支出はどうなっていたのか疑問が消えない。」「ク 平成11年度以降月毎に多額の繰越金が発生するようになった理由については必ずしも判然としない。」「ケ 甲26号証の説明書は法務省が平成11年2月頃までに,今後の調査活動費の執行の在り方について説明,指示するために作成したものと認めるのが相当。必ずしもそれまでの不正流用を止めて正規に使用することとしたためその正規の執行方法を周知する必要が生じて作成したとは認められないがその疑いは多分にあるといえる。」「コ どちらから出しても正式証明を要するのに,平成11年度以降それまで会議費から支出されていた情報交換会経費が,なぜ調査活動費からの支出に変更する必要があったのか合理的に説明されたとはいえない。」「サ 高井証言,北村証言はいずれも守秘義務との関係で抽象的とならざるを得ない面を考慮しても多額の予算を使って収集した情報がどのように利用され,蓄積されているかなどの点であいまで具体性に欠ける。」「シ 調査活動費について法務省内部の調査が行われ法務大臣が記者会見で不正流用の事実はなかった旨述べているが,その調査内容に関する証拠は裁判所に提出されていない。」「少なくとも昭和58年から平成5年にかけて,仙台高検の調査活動費が何らかの不正な使途に流用されていたものと推認される」「平成5年から平成10年にかけては調査活動費の使用状況に従前と大きな変化は見られないのであるから平成10年度の調査活動費についても不正な流用が行われていたと推測する余地がある」「平成10年度までの調査活動費の執行状況や翌11年度以降の調査活動費の推移及び執行状況には不自然な点が少なくなく,平成11年度から急遽それまでの不正流用を是正したものとみることも推測としてはできなくもない」として調査活動費の不正流用を認めた。
   しかしながら,「平成10年度の本件調査活動費について不正流用があったことについて,これを直接に認めるに足りる証拠はないので,高橋供述や調査活動費の使用状況の不自然性などから推測するほかない」「調査活動費の使用状況の不自然性についても,疑問は残るものの,被告の主張にも合理性がないわけではなく,そこにとりたてて破綻は存しないことなどに鑑みると,反対趣旨の証拠を排斥して本件調査活動費の不正流用の事実を認定するには未だ証拠が不十分といわざるを得ない」「平成10年度の本件調査活動費の不正流用についても疑いとしては濃厚であるけれども,これを認めるまでの証拠は存しないというべきである」と判示して請求自体は棄却した。
 (情報公開法5条4号についての裁判所の解釈)
   このように,証拠によって過去における調査活動費の不正流用の事実を認めながら原告の請求を棄却したのは,情報公開法5条4号の文言(「支障を及ぼすおそれがあると行政機関の長が認めることについて相当の理由」)を根拠に,行政庁に文書の開示不開示について極めて広範な裁量を認めてしまったからである。
   すなわち,仙台地裁判決は,「4号に該当するとしてなされた不開示処分が違法となるのは,行政機関の長の第一次的な判断が合理性のある判断として許容される限度を超える場合すなわち当該処分が裁量権を逸脱又は濫用したと認められる場合に限られるというべきである。したがって4号該当性を争う取消訴訟の審理においては,行政機関の長の認定判断の過程に即して,その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があるなどによりその判断が事実の基礎を欠くかどうか,事実に対する評価が明白に合理性を欠くことなどによりその判断が社会通念に照らして著しく妥当性を欠くかどうかを審査する方法によるべきである。」と判示した。
   本来「行政機関の長の第一次的な判断が合理性のある判断として許容される限度を超える場合」とは,「当該処分が裁量権を逸脱又は濫用した場合と認められる場合」に限られないと解釈すべきである(「行政機関の長の第一次的な判断が合理性のある判断として許容される限度を超える場合」と「当該処分が裁量権を逸脱又は濫用した場合と認められる場合」とは同義ではない)。
   もし仙台地裁判決が判示するように,4号に該当するとしてなされた不開示処分が違法となるのが,「当該処分が裁量権を逸脱又は濫用したと認められる場合」という極めて例外的な場合に限られるとすれば,4号該当性を理由とするほとんど大部分の不開示処分が適法となり,「原則公開,例外非公開」の情報公開の理念に反して,不開示の範囲が不当に拡大することになってしまう。
   アメリカ情報公開法のもとでの経験に照らしても,5条4号の不開示事由は濫用の危険性が高く,行政機関の長の判断を鵜呑みにすれば,警察や検察の活動がすべて情報公開から抜け落ちてしまうとの指摘がさなれている。
 (5条4号の本来あるべき解釈)
   5条4号は,原則公開のあくまでも例外事由であるから,裁判所は,行政機関の長の判断を尊重すべきだとしても,「裁量権の逸脱・濫用」だけでなく,開示拒否の根拠が具体的に示されているかどうかをきちんと審査すべきであり,行政機関の長の判断に合理的な疑問がありさえすれば(「裁量権の逸脱・濫用」とまでは言えない場合であっても),いつでも「相当の理由」がなかったと判断すべきなのである。ことに情報公開法は憲法上優越的地位を占める「知る権利」を具現化したものであり,精神的自由権たる「知る権利」に関する審査は裁判所のよくなし得るところである。すなわち,「国民の知る権利を認めるかどうか」=「開示を命ずるべきかどうか」は裁判所において行政機関・国民双方の意見を聞きつつ民主主義的観点から検討すれば適正な結論を出せるものであり,積極的な司法審査になじむものである。
   また,正しい情報を国民に開示してこそ,立法府の正当性ひいては行政府の正当性が確保されるところ,その前提を阻害するような不開示処分に対しては,裁判所が積極的に司法権を行使して,これを取り消さなければならない。これこそが,裁判所に期待された使命である。一般の行政処分において行政裁量が尊重されているのは,行政機関の専門的,政策的判断を尊重して緩やかに司法審査しても,民主主義のシステム自体には悪影響を及ぼしにくいからである。
   ところが,情報公開法による不開示処分は,上記のとおり,国民への正しい情報提供を阻害し,民主主義のシステム自体に悪影響を及ぼすことになるから,不開示処分については積極的な司法審査が必要となる。
   たしかに,5条4号は,「支障を及ぼすおそれがあると行政機関の長が認めることについて相当の理由がある情報」という表現を用いることによって,司法審査の場においては,裁判所は,行政機関の長の第一次的な判断を尊重し,その判断が合理性を持つ判断として許容される限度内のものであるかどうか(「相当の理由」があるかどうか)のみを審理・判断すべきことを明確にしている,と解されている。しかしながら,行政機関の長の第一次的な判断を尊重するとしても,裁判所が,当該処分が裁量権を逸脱又は濫用したと認められるか否かについてしか判断できないとすることは,原則公開の情報公開の理念に照らして,行き過ぎというほかない。
   情報公開法についての国会審議の過程においても,「この規定(5条4号)に該当するような場合であっても,まず行政機関の長は,相当の理由の有無についてこの法律の趣旨に沿って適正に判断すべきであり,また,裁判所の司法審査を一切排除するものではなく,裁判所は,行政機関の長の判断が合理性を持つ判断として許容される範囲内のものであるかどうかを審査することになるので,行政機関の恣意的な運用を許容するものではない。」との政府答弁がなされている(畠基晃「情報公開法の解説と国会論議」64頁 )。
   仙台地裁判決が判示するように,4号に該当するとしてなされた不開示処分が違法となるのが,「当該処分が裁量権を逸脱又は濫用したと認められる場合」という極めて例外的な場合に限定されるとするならば,前述のとおり,4号該当性を理由とするほとんど大部分の不開示処分が適法となり,行政機関の恣意的な運用を許容する結果となることは必至であるから,仙台地裁判決の4号についての上記解釈は,国会審議の経過を無視し,立法者意思にも明らかに反するものである。
 (主張立証責任)
   情報公開訴訟においては,不開示処分により,当該文書の内容を知りえない原告が,「相当の理由」が存在しないことを立証することは,極めて困難ないしは事実上不可能である。それにもかかわらず,国民の側で「相当の理由」についての主張立証責任を負うとすれば,ほとんどの場合,行政機関の長が5条4号に該当するとして行った不開示処分が維持されてしまうことになりかねない。そのような結果が,「原則公開,例外非公開」の情報公開の理念に反することは明らかである。他方,不開示処分を行なった行政機関の長が,「相当の理由」が存在すること,すなわち,不開示の判断が合理性を持つ判断として許容される限度内のものであることを立証することは,さほど困難なことではない。
   また,行政機関の長において,不開示の判断の合理性を立証することは,「説明責務」(法1条)の観点からも,当然の要請である。したがって,「相当の理由」が存在することの立証責任は,他の例外事由と同様,行政機関にあると解するのが合理的かつ相当である。
 (法改正の必要性)
   本件訴訟で仙台高等検察庁のとった応訴態度は誠に見苦しいものであった。すなわち本件の要証事実は不正流用の有無である。原告は一市民団体であり特段の証拠収集手段も持たず,検察庁の内部情報に接することもできない。これに対し被告は正に調査活動費の全貌を熟知する存在であり調査活動費に関してはあらゆる資料と情報を占有している。立証能力についてかかる雲泥の差がありながら原告は幾多の内部告発を含む間接証拠を提出し仙台地裁もそれが不正流用の疑いを基礎付けるものであることを認めている。これに対し被告は,仙台地裁判決が「本件調査活動費の個々具体的な使途を明らかにしない方法による反証も可能である」と指摘する通り,反証しようと思えばいくらでも反証可能な原告の主張に対してほとんどまともな反証をしようとしなかった。出した証人は僅かに2名,しかもほとんど調査活動について経験がなく,調査活動による情報の蓄積や引き継ぎに付いてすらまともに答えられないような証人しか出していない。平成10年度の調査活動費の支出担当者である検事長については証拠採用に反対すらしている。正に支出の張本人なのであるからもし不正支出がないというなら真っ先に証人申請して証言させるべきであろう。内部調査をしたといいながらその結果すら証拠として提出しようとしない。立証を放棄し,ひたすら立証責任論と独立した一体的な情報論による裁判所の救済を請い願うがごとき応訴姿勢は,「犯罪事実について合理的疑いを入れる余地がないまでに立証すること」をその使命とする検察庁としてまことに見苦しいと言わねばならない。そこには情報公開法の目的である国民に対する説明責任を果たすとの姿勢は微塵も見られず,ただひたすら頭を低くしてこの問題が世間から忘れられるのを待とうとしているとしか思われない。
   このように,情報公開法5条4号は行政庁によって不正隠蔽の隠れ蓑として悪用され,裁判所も解釈によってこれを是正しようとしないことが明らかとなっている。かくなる上は立法府がこの規定を改正するほか情報公開制度を機能させる途はない。
 
第3 開示・不開示の範囲等に関する改正(部分開示関係)について
 
 〈意見〉
   開示請求に係る文書に不開示情報が記録されているときは,不開示情報が記録されている部分とそれ以外の情報が記録されている部分とを区別することが困難である場合を除き,当該不開示情報が記録されている部分を除いた部分につき開示しなければならないものとすることに,賛成である。
 
 〈理由〉
 1 部分開示における「独立した一体的な情報論」の不当性
   部分開示については,最高裁判例(平成13年3月27日 第三小法廷判決など)が不当にもいわゆる「独立した一体的な情報論」なるものを論じたため,日付だけとか金額だけという開示しても何も支障がない情報までもが全部不開示とされるという不当な実務がまかり通ってきた。
   仙台市民オンブズマンは,これまで宮城県警,仙台地検,仙台高検,公安調査庁,外務省などに対して,情報公開請求訴訟を提起してきたが,これらの実施機関はすべて「独立した一体的な情報論」を振りかざして全面不開示を主張して抵抗してきた。つまり,「いつ,どこで,誰が,誰に対して,幾らの金額を,何のために,支給したか」が独立した一体的な情報であるから,それら全部を開示した場合に法所定の不開示事由に該当すれば,上記全部の要素を不開示としてよく,要素の一部を開示することは強制されない,旨主張して抵抗したのである。そして,残念ながら,仙台地裁,仙台高裁,最高裁はいずれも「独立した一体的な情報論」に依拠して仙台市民オンブズマンの請求を却け続けてきた。このような裁判所の消極的な態度によって,市民は,「違法支出」や「裏金」の疑惑について徹底的な真相究明の手段を奪われてきた。しかし,元警察官や元検事による内部告発者の証言や公表された資料によって,社会的には,捜査報償費の裏金化,地検・高検・公安調査庁の調査活動費の裏金化などが暴露されている。社会的には「裏金化」の事実が明白となっても,情報公開訴訟の局面では,「全面不開示」となって真相究明が妨害されるという事態が続いているのである。これでは「政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされる」(法1条)はずはなく,情報公開制度の趣旨にもとる結果ばかりが積み重ねられる。
   そもそも,どこまでが「独立した一体的な情報」なのかは極めて曖昧であるし,上記のようにすべての要素を取り込んでそれが「独立した一体的な情報」だとしてしまえば,すべての要素を不開示とすることが容易となってしまう。行政機関の恣意的な全面不開示を許してきたのが,情報公開法第6条1項の「独立した一体的な情報論」なのである。
 2 最高裁の誤った解釈を許さぬよう,法改正が必要
   情報公開法第6条1項については「独立した一体的な情報論」によらず,正しい解釈をすることによって部分開示をできるだけ広く認める方策も存在する(平成19年4月17日の最高裁判決の藤田宙靖裁判官の補足意見)。しかし,現時点では最高裁は誤った「独立した一体的な情報論」から抜け出せていない。最高裁が誤った解釈をとる以上,その解釈を許さぬよう,同法6条1項は第1回行政透明化検討チームにて提示された大臣案のように改正される必要がある。国民は,国の情報は部分的であってもできる限り開示して欲しいと願っている。その正当な民意に国会が耳を傾け,法改正を行う必要が大きい。政権交代した今ならこれを実現することが可能である。
 
第4 開示請求から実施までの手続に関する改正(開示決定等の期限の特例関係)について
 
 〈意見〉
   開示決定等の期限の特例を適用する場合において,行政機関の長・独立行政法人等は,開示請求に係る行政文書のうち相当の部分につき開示決定等をした日から60日以内に残りの行政文書について開示決定等をしなければならないものとすることに,賛成である。
 
 〈理由〉
   法11条(開示決定等の期限の特例)の「相当の期間」は,事実上無制限となっており,迅速な情報公開により国民の知る権利を保障するという情報公開法の趣旨を没却している。
   以下では,仙台市民オンブズマンが外務省に開示請求した事例を紹介する。
 (事案の概要)
平成18年11月30日,仙台市民オンブズマンは外務省に対し6在外公館における平成13年度の「報償費」に関する支出決裁文書を,翌19年2月2日,3在外公館における平成10年度から18年度の「便宜供与関連文書」の開示を請求した。
 これに対し,外務省は「報償費」に関する支出決裁文書については「対象文書が含まれている可能性のあるファイル及び対象となる行政文書が著しく大量であり,担当課において他に処理すべき開示請求案件が多く,また他の事務が著しく繁忙であるため,開示請求日から60日以内にその全てについて開示決定等をすることにより事務の遂行に著しい支障が生ずるおそれがあるため」との理由により情報公開法11条の特例を適用し,開示等決定期限については「平成19年1月29日までに可能な部分について開示決定等を行い,残りの部分については,平成21年3月31日までに開示決定等を行う予定」との通知をしてきた。また,「便宜供与関連文書」については「報償費」と同様の理由から情報公開法11条の特例を適用し,開示等決定期限については「平成19年4月3日までに可能な部分について開示決定等を行い,残りの部分については,平成21年3月4日までに開示決定等を行う予定」との通知をしてきた。
 このような,開示請求から約2年後に開示等の決定を行うといった情報公開法の趣旨を没却するような外務省の対応に対し,仙台市民オンブズマンは平成19年5月23日,仙台地方裁判所に,国家賠償等を求め提訴した。
 (本件の問題点)
   本件で原告である仙台市民オンブズマンが問題としたのは以下の点である。
   ・正当な根拠もなく情報公開法11条を適用した外務省の判断の違法性
   ・情報公開法11条を適用したとしても,開示請求から約2年後に開示決定をするといった外務省の対応は違法である。
 ・開示請求から60日以内に「相当の部分」について開示等の決定をなしていない外務省の対応は情報公開法11条の文言に明確に反し違法である。
   ・上記違法は,国家賠償法上の「違法」となる。
   上記のような外務省の対応の違法を主張し,本件訴訟は現在最高裁で継続中である。
 (外務省の対応)
   本件訴訟の攻防の中で,仙台市民オンブズマンからの開示請求を受けた後の外務省の対応が明らかとなった。
   情報公開法は,同法が目的とする「国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進」(同法1条)を図るため,また同法が国民の「知る権利」(憲法21条)の趣旨を具体化したものとの観点から,情報公開を請求された行政機関の義務として,30日以内(例外として60日以内)の開示不開示等の決定を定めている(同法10条)。
   とすれば,情報公開請求を受けた各省庁は,まず,関連文書が保管されている関係部署に関連文書の送付を指示し,請求を受けている文書の種類,分量等をある程度具体的に把握したうえで,最低でも60日以内の開示等の決定を図り,それがどうしても不可能な場合にのみ特例である11条の適用を検討し,仮に11条の適用をした場合でも,法で明確に要求されている「相当の部分」の60日以内の開示等決定はもとより,可能な限り60日に近い期日に開示等の決定をしなければならない。
   ところが,本件における外務省は,特に「便宜供与関連文書」においては,開示請求から5ヶ月弱後の6月27日に至ってやっと各在外公館へ文書送付の指示を行っているのである。この指示自体は極めて定型的な事務連絡文書であり,作成までに数ヶ月もかかる類の文書ではない。この間,外務省は仙台市民オンブズマンに対し,3月5日に11条の適用を知らせる延長通知を発し,その後「相当の部分」の開示等決定期限である4月3日を徒過したうえで,仙台市民オンブズマンの訴状の送達(6月20日)を受け,提訴されたことを知り慌てて情報公開作業の第1ステップである関係部署への文書送付の指示を行っているのである。なお,外務省が訴状送達を知ってから慌てて関係部署への文書送付の指示を行った事実は,本来別の部署である「北米第一課」と「西欧課」において不自然に文書送付指示の日が一致していることからもうかがい知れる。
   これに対し,外務省の言い分としては,同時期は重要外交案件が山積し忙しかった,秘密保持の観点から最少人数で対応していた,各在外公館への文書送付を指示するまでの間関係部署との打ち合わせを行い指示する文書の絞り込みを行っていた等といったものであるが,情報公開法が30日での開示等の決定を要求している以上,それに対応できる体勢を整備する義務は当然各省庁に課されているのであって,前2者は理由とならない。また,各在外公館への文書送付指示までに6ヶ月もの期間が必要だったとする理由についても関係部署との打ち合わせ等の具体的内容は一切明らかとなっていないこと,文書絞り込みの成果も指示文書中には全く反映されていないこと,外務省への訴状送達からわずか7日間で文書送付の指示を行っていること等から到底信用できる理由ではない。
   本件は訴訟提起後及び各在外公館への文書送付指示後5ヶ月程度で全部の文書につき開示等の決定が出ている。外務省が仙台市民オンブズマンからの文書開示の請求を受け,通常どおりの対応をしていれば,法11条の特例を適用することなく全ての文書の開示決定ができたことは明らかである。また法11条の特例を適用するとしても,2年もの期間を必要とするものではなかったことも明らかである。
結局のところ,外務省は,仙台市民オンブズマンからの文書開示の請求を受け,その文書の総量や内容といったものを全く検討することなく,とりあえず特例である法11条の適用を決定し,そのまま数ヶ月間何もすることなく放置していたのであって,その外務省の対応には情報公開法の趣旨を理解し,その趣旨に添うように同法を運用するという姿勢は全く見られないのである。
 (まとめ)
   情報公開法は上記で述べたような趣旨から,各行政機関における開示等決定期限を明確に定め国民の情報公開権の実効性を保障している。
   しかし,本件でも明らかなように,各行政機関少なくとも外務省においてはその趣旨を理解しておらず,またその趣旨に則った運用が全くなされていない。
   国民が求める情報とはまさに生ものなのであって,公開されさえすればいつでもよいといったものではない。本件においても現実的に公開を求めた際に公開が得られず,その後の内容調査等において多大な不利益が生じている。
   前述のように現行情報公開法は一面においては行政機関の応答義務及びその期限を定め国民の知る権利及び情報公開権の実効性を担保している。しかしながら,同時に比較的抽象的な要件で法11条の特例を定めていることから,この特例の運用如何によっては,情報公開法の趣旨が没却されかねない。本件の外務省の対応はまさにこの危険を如実に表しているのであって,この法11条の特例の濫用防止のためにも法改正が必要である。
 
第5 開示請求から実施までの手続に関する改正(手数料関係)について 
 
 〈意見〉
   開示請求に係る手数料を原則として廃止するとともに,開示の実施に係る手数料を引き下げることに,賛成である。
 
 〈運用に関する意見〉
   開示請求手数料や開示実施手数料の納付方法につき,ホームページでは印紙貼付のみを記載しており,現金納付を認めていないかのようなかたちになっている。開示請求手数料は廃止されれば問題ないが,開示実施手数料については10円単位の印紙が近隣の郵便局で購入できないこともあり,極めて不便である。開示場所での現金直接払いや振込等での納付が可能である旨を周知徹底すべきである。
 
第6 「ヴォーン・インデックス手続」及び「インカメラ審理」の創設,並びに情報公開条例の扱いについて
 
 〈意見〉
   「情報公開制度の改正の方向性」第5で示されている「ヴォーン・インデックス手続」及び「インカメラ審理」の創設には,賛成である。また,これらの手続を情報公開条例の規定による開示決定等に相当する処分又はこれに係る不服申立における裁決・決定に対する抗告訴訟に準用する等の措置を講じることにも,賛成である。
 
 〈理由〉
   情報公開訴訟において,被告側(国や地方自治体)は立証責任論や独立した一体的な情報論を振りかざして,不開示部分については抽象的な説明しかしようとせず,主張立証,ひいては真実発見の障壁になってい。このような状況を改善するためには,「ヴォーン・インデックス手続」及び「インカメラ審理」の創設が最も有効と言える。
                                                以 上

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2010年5月13日 (木)

裁判員女性、遺体写真見て体調不良 裁判後に退職、福岡

リンク: asahi.com(朝日新聞社):裁判員女性、遺体写真見て体調不良 裁判後に退職、福岡 - 社会.

  福岡地裁で1月にあった傷害致死事件の裁判で裁判員だった福岡県内の女性が、朝日新聞の取材に応じ、「裁判を機に体調を崩し、仕事を辞めた」と語った。女性は、裁判で解剖写真が法廷に映されたときから動悸(どうき)が生じ、裁判後は車が運転できなくなったという。裁判当時、すでに別の裁判員が解任されていたため、体調不良を理由に辞めるとは言いにくい状況だったという。担当した裁判では、凶器が争点となった。被害者の頭に致命傷を負わせたのは「金づちのようなもの」とする検察側は審理2日目の午前、解剖医を尋問した。頭部の陥没骨折を説明するため、法廷のモニターと大画面に頭部の解剖写真が連続して映された。女性は当初体調に問題はなかったが、解剖写真を見ると動悸が生じた。それでも、「見なくてはならないと言い聞かせた」と振り返る。直後の昼休み、別の女性裁判員1人が解任された。裁判所からは明確な理由の説明はなかったが、女性にはこの裁判員も写真の影響があったように見えた。1人では廊下を歩けない様子で、昼食を取らずに帰ったという。女性も昼食は進まず、午後は「頭が真っ白で最悪の体調。倒れるかもと思った」。めまいや動悸が続いたが、すでに1人が辞めていた中で「自分まで帰るわけにはいかない」と考えたという。裁判を終えた翌日から、体調不良となり、車を運転することができなくなった。車での営業職を約4年間続けていたが、週4回ほどのパート勤務も2月中旬に退職した。
 最高裁は裁判員の心の負担に配慮し、24時間対応の相談窓口を設置。専門家のカウンセリングも受けられるようにした。女性も地裁からこの窓口を紹介されていたが、話すこと自体がきつく、なかなか電話はできなかったという。2月のある朝、即座に助言をもらえると思って意を決して電話した。涙ながらに話したが「私は看護師。専門の人に話しませんか」と言われ、気力を失って医師の診察は受けなかった。裁判の経験に悔いはないが、今も10分以上は運転できないという。
 遺体写真の扱いについて、福岡地検は「視覚的な説明が必要な場合もあり、影響には配慮している」と説明。福岡地裁は「裁判員が事後に体調不良などの問題があれば、いつでも相談に応じる」としている。
 西南学院大の平井佐和子准教授(刑事法)は「裁判では生々しい証言や写真が証拠として示されることもある。選任の段階であらかじめ説明し、事情によっては辞退を認めることも可能にするべきではないか」と指摘している。(金子元希)

  解剖写真は弁護士でも見たくないものだ。私などは小心者なので、ちらっと一度は見るものの、その後は解剖写真の部分を見なくていいように前後のページと一緒にクリップ止めしてしまう。そうすれば記録をめくっていても写真を目にしなくてすむ。このケースのように凶器と遺体損傷の整合性が争点となれば見ざるを得ないだろうが、鑑定書には写真とは別に傷の状況が詳細に図示されるのが通常なので、そちらをじっくり見る(こんなことでは弁護士失格か)。
  司法修習生は検察修習で必ず一度は遺体解剖に立ち会うのだが、頭部の解剖は強烈だ。私は正視できず退席してしまった。この裁判員は言われるままに頭部の解剖写真が映された大画面を律儀に見続けたのだろう。この手の画像は人によって受け止め方が全く異なる。全然平気という人も多いだろう。しかし一般の人に見ることを強要するような代物でないことは間違いない。
  国民のなかにはこの手の画像に極端に弱い者も当然いるのだから、事前に口頭で説明した上でそのような者には辞退を認めるのが当然だろう。福岡地裁は「裁判員が事後に体調不良などの問題があれば、いつでも相談に応じる」などと呑気なことを言っているが、既に見せられたショックが事後の相談で解消されるものではあるまい。裁判員制度など国民に犠牲を強いてまで敢えて続ける意味のある代物ではない。同じような被害者が出る前に裁判員制度などやめてしまうべきだ。

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2010年5月 3日 (月)

これはたまげた 弁護士29人で打合せ室3室事務員1人 東弁協|サービスのご案内|独立支援

リンク: 東弁協|サービスのご案内|独立支援.

  利用する弁護士それぞれが、独立した法律事務所として機能する良質な執務環境。 TLC事務所は、現在の厳しいビジネス環境下で独立する弁護士を支援するため、協同組合が研究・開発した弁護士専用のシェア型オフィスです。初期投資の経済的負担を軽減しながら、弁護士業務に必要なさまざまな機能を備え、弁護士同士の自然な情報交流を可能にする環境を生み出します。

  事務所の図面を見ると、29名の弁護士がそれぞれ図書館の個人机みたいな机(幅120㎝奥行き70㎝)を使用し、打合せ室3室、複合機1台、FAX1台、受付事務員1名を共同で利用する形態のようだ。たしかに単独で事務所を借りる金はないが、かといって自宅で開業するわけにも行かない(事務所可でない限り自宅が賃貸では開業できない)、事務員は雇えないがせめて宅配の受け取りや来訪者の受付位はやって欲しいという即独弁護士のニーズに沿ったものだろう。これで利用料は月額10万5000円だから即独する弁護士にはリーズナブルだと思う。しかし弁護士29名で打合せ室3室、複合機1台、FAX1台では取り合いにならないだろうか。書庫がないようだが本はどこに置くのだろう?
  企画したのは東京都弁護士協同組合だ。なるほどよく考えたものだと感心はするが、弁護士の就職難というか困窮もついにここまで来たかという感じだ。若手弁護士や司法修習生が仕事よこせのデモ行進をする日もそう遠くはないだろう。
  私は若手弁護士や協同組合を揶揄するつもりは毛頭ない。こんな弁護士会に誰がしたと言いたいだけだ。宇都宮会長は年間合格者を1500名に減員する政策を掲げて当選したが、就任の挨拶を読む限り今までの会長と変わり映えしない。弁護士人口問題について新たな委員会を立ち上げて検討するようだが、検討するまでもなく結論は出ているだろう。司法修習生の給費制問題に取り組むのは結構だが、その後できちんと減員実行にも取り組んでもらいたい。選挙公約なのだから。
 
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2010年5月 1日 (土)

歯科医と弁護士の凋落 私立歯大の定員割れ拡大、高収入のイメージ崩れ

リンク: 私立歯大の定員割れ拡大、高収入のイメージ崩れ(読売新聞) - Yahoo!ニュース.

 昨春に大幅な定員割れを起こした私立歯科大・歯学部で、今春も全国17校のうち11校の入学者が定員を満たさず、定員割れが拡大していることが、「日本私立歯科大学協会」のまとめでわかった。同協会によると、今春の入試は、募集定員1891人(前年度比13人減)に対し、4318人(同655人減)が受験、1489人(同213人減)が入学した。定員割れの校数は同じだったが、全体の欠員率は昨春の倍の2割に達した。このうち、奥羽大歯学部の入学者数は定員の3分の1の32人で、松本歯科大、北海道医療大歯学部とともに欠員率が5割以上。昨春の場合、定員割れしても5校が欠員率1割以下だったが、今春は11校すべてで欠員率が1割を超え、2割以上も9校を数えた。定員割れで、高額の学費を見込めず、学校経営には大きな打撃となる。また、質的に一定レベルの学生を確保できないおそれもある。
 受験者減には、歯科診療所の過当競争で、「歯科医師は高収入」といったかつてのイメージが崩れていることなどが背景にある。
 文部科学省は「教育の質を確保するべく、これを契機にさらに入学定員の適正化を働きかけていきたい」(医学教育課)としている。
 
  日本私立歯科大学協会は430日、東京・千代田区九段南の同協会会議室で記者懇談会を開き、文部科学省主催(平成21年度24日)「国公私立大学歯学部長・歯学部附属病院長会議」についての意見書を明らかにするとともに、記者側に質問や意見を求めた。
 
安井副会長談話。このままでいいのか。本協会の理事会で色々な意見が出た。定員の問題、歯科医師の資質の問題であるが、歯科医師を目指す学生たちにとっては極めて厳しい。歯科医師に夢がない内容ではないかと考え理事会の意見を取りまとめた。意見書は、加盟17の学長、歯学部長名で、311日に文部科学省に提出した。その後、医学教育課で国公私立大学歯学部にヒアリングをして、改善計画を求めている。420日に各学校が改善計画を提出している。今回、文部科学省に提出した意見書は、歯学教育の改善・充実に関する調査研究協力者会議第一次報告「確かな診療能力を備えた歯科医師養成方策」の「歯科医師の社会的需要を見据えた優れた入学者の確保」を踏まえたものである。このなかで、「歯科医師過剰が、職業人としての魅力の低下や臨床実習に必要な患者の確保等に影響」と述べている。もし「歯科医師過剰」による「職業魅力の低下」が、事実だとするならば、行政改革の最中、莫大な税金を投入している国立大学法人歯学部こそ、合理化・定員削減・統廃合・大学院特化等を喫緊の課題としてとらえるべきであり、早急に実施すべきである。現在の歯科医師の約75%が私立歯科大学・歯学部出身者である。一方、国立大学法人は、国税で6年間私立歯科大学・歯学部の約1/10の学費という低廉な学費によって学生を集めていながら、歯科医師需給問題に関連付けて、私立歯科大学・歯学部入学定員削減問題を議論することは、我が国、歯科界に内在する問題及び解決策を曖昧にし、国民歯科医療の向上という我が国歯科医療界の果たすべき本旨から大きく逸脱する論と考える。

 私立の歯学部を卒業するまでには入学金、授業料その他で数千万円の費用がかかる。これまでは開業すれば元が取れたので定員割れなど考えられなかった。今では国家試験の合格率は6割台、しかも合格しても歯科医師過剰で開業すらままならない。これでは学生が集まらないのも当然だろう。今後は地盤を築いた歯科医の師弟くらいしか私立の医学部には行かないだろう。
 国立大学があるから大丈夫と言えるかだが、国立大学だって6年間の授業料や生活費は相当な額になる。歯科医になっても高収入はおろかワーキングプアになるかもしれないとなれば、普通の家庭の子供は歯科医を目指そうとは思わないのではないか。結局地盤を築いた歯科医の師弟だけが世襲するようなことにもなりかねない。高収入を確保してあげろとは言わないが、資格に見合った収入位は確保してあげないと優秀な人材は逃げていく。歯科医の質が下がって被害を被るのは患者である国民だ。
 弁護士はどうかといえば似たような状況だ。

 全国の法科大学院74校のうち、80%の59校で今春の入学者が入学定員を下回り、うち13校は50%未満だったことが5日、文部科学省のまとめで分かった。入学総定員5765人に対する入学者は計4844人で充足率は84%だった。志願者数は全体で延べ2万9714人と3万人を割った。受験者数は同2万5857人で合格者は同9186人、競争倍率は2・8倍だった。法科大学院は、修了者の新司法試験合格率が昨年は平均33%と低迷、質向上が課題とされている。法科大学院協会が実施した今春の調査では、少なくとも65校が2011年度までに定員削減をしたり検討するとしており、定員削減の動きに拍車が掛かりそうだ。文科省によると、千葉大(定員50人)は競争倍率が8・5倍と高く71人を合格としたが、入学者は41人と定員割れとなっていた。私立大では、姫路独協大(30人)が入学者5人、京都産業大(60人)が同19人、東北学院大(50人)が同18人などと定員割れ。国立大では、昨年の新試験の合格率が0%だった信州大(40人)が入学者17人で、定員の半数を割った。入学者割合が100%を超えたのは12校で、熊本大(30人)が入学者35人、名古屋大(80人)が91人、上智大(100人)109人などだった。

 司法試験の場合は法科大学院が濫立しているために歯科医師国家試験よりさらに合格率が低い。その上弁護士人口激増政策によって就職もままならないのであるから志願者が減るのは当然だろう。
 高収入目当ての志の低い者が受けなくなるだけだから問題ないということにもなりそうだがそうではない。法科大学院卒業は司法試験の受験資格だから受験するためには2~3年間法科大学院に行かなければならない。その間の授業料は300万~500万で、アルバイトなどしている暇はないから生活費も同じ位用意しなければならない。しかも今年から司法修習生も貸与性になるので1年間の司法修習中(司法修習生はアルバイト禁止だ)にさらに300万円位かかる。つまり弁護士になるには最低でも合計約1000万円かかることになる。平成20年度の国民の平均年収を見ると300万円以下が39.7%を占める。大学卒業後さらに子供に1000万円出すことなど普通の家庭では不可能だろう。結局普通の家庭の人間は奨学金と国からの貸与を受けることになるがそれは紛れもなく借金だ。この弁護士就職難の時代に1000万円の借金を背負ってまで弁護士になろうとする者がどれだけいるのだろう。もはや法曹資格は金持ち限定の資格と言わざるを得ない。これでは志のある有為の人材が経済的理由で法曹界から排除されてしまう。弁護士や裁判官の質が下がって被害を被るのは利用者である国民だ。
 弁護士の場合医師や歯科医師と違って二世は少なかった。中学さえ出ていれば誰でも何回でも司法試験を受験できたし、合格すれば司法修習中は国から給与が支給された。少なくとも経済的理由で受験をあきらめるということはなかった(もっとも就職の機会を逃して人生を棒に振る危険はあったがそれは自己責任だ)。今後はおそらく弁護士も二世が増えることだろう。
 弁護士会内でこんなことを言うのは私くらいだが、私は法科大学院卒業を司法試験の受験資格とするのは職業選択の自由を奪うもので憲法違反であり、また法曹養成の在り方としても誤りだと思う。法科大学院を受験資格としたのは受験勉強偏重による弊害を除き、社会経験のある者を含め幅広い人材を確保しようというのが理由とされている(もっともそれは表向きの理屈付けであって実際は弁護士急増のために他に方法がなかったからだが)。しかし法曹という資格を与える試験である以上公平性、平等性は絶対に確保しなければならない。それを犠牲にするメリットが法科大学院にあるとは到底思われない。

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