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2012年3月18日 (日)

氷河期に突入した医療過誤訴訟その2 「生存していた相当程度の可能性の侵害論」は麻薬のように医療過誤訴訟を蝕んでいる

  最判平成12年9月22日判決(心筋梗塞事件判決)は、「過失と患者の死亡との間の因果関係は証明されないが、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は患者に対し不法行為による損害を賠償する責任を負う」と判示した。この判決は「生存していた相当程度の可能性」を新たな法益と認めたものである。
  因果関係は存在するかしないか、すなわち100かゼロかであってどれだけ酷い過失があろうとも因果関係なしと判断されれば請求は棄却されていた。この判決は、因果関係の立証の困難を実質的に軽減する機能を営むものとして患者側代理人から高く評価されてきた。私もこの最高裁判決が出された直後に、仙台地裁で、羊水塞栓で母体死亡に至った事案において因果関係は認められないが救命し得た相当程度の可能性があるとして850万円の慰謝料を認める判決を得た。これでようやく長年患者側を苦しめてきた因果関係の証明の負担が実質的に緩和されると喜んだものだ。しかしその後の下級審の流れは最高裁の意図と裏腹に最悪の結果をもたらしているように思われる。
  すなわち、かつては(期待権侵害を別にすると)因果関係はあるかないかの二者択一で否定すれば即請求棄却につながった。それだけに過失はあるが因果関係の判断が微妙な事案では裁判所もかなり苦慮していたと思う。良心的な裁判官であればそのような事案で請求棄却の判決を書くのは忍びなく、極力和解による解決を志向していたように思う。和解の進め方にしても、過失ありとの心証を得た場合には、基本的には因果関係が認められることを前提とした金額をベースに因果関係についての心証の程度に応じて減額していく場合が多かったと思う。例えば請求金額が3000万円であれば1000~2000万円の範囲で和解が成立していたというのが私の感覚だ。また和解がまとまらなければ全額認容か請求棄却かの選択肢しかないので双方に対してかなり強く説得する傾向にあったように思う。
  ところがこの平成12年判決後は、因果関係の存否についての厳密な認定を避ける裁判所が多くなったように感じている。因果関係を否定しても請求棄却としなければならないわけではなく、相当程度の可能性を肯定して一部認容判決を書けばよいとの安易な思考?が裁判所に蔓延しているように思えてならない。もちろん裁判官はそんな考えは持っていないと言うだろうが、裁判官はどうしても専門家である医療機関側の主張に反する認定はためらわれるものだ。因果関係の認定に悩んだ場合、「相当程度の可能性論」という言わば当たり障りのない中間的な解決に流れるのは人間の心理というものだろう。患者側代理人ですら「最低限相当程度の可能性が認められればまあいいか」という気持ちになる場合もあるのだから。
  またこの判決以後、和解の水準低下も著しい。かつては過失が肯定されかつ因果関係の存否が微妙という事案のほとんどは請求金額をベースにその何割という形で話が進められた。ところがこの判決以後は「相当程度の可能性」にとどまることを前提とした金額が示されることがほとんどになってしまった。しかもその金額は判で押したように300万円という数字だ。最近はさらに下がって100~200万円を提示されることもある。相当程度の可能性論による慰謝料の水準はかつての期待権侵害論と全く同じ水準になってしまっている。
  しかし最高裁が「生存していた相当程度の可能性」を新たな法益として認めた論拠は、「けだし生命を維持することは人にとって最も基本的な利益であって、右の可能性は法によって保護されるべき法益であり、医師が過失により医療水準にかなった医療を行わないことによって患者の法益が侵害されたものということができるからである」というものであって、単に適切な治療行為を受ける期待を問題にしたものではない。事実その後の判例で最高裁はいわゆる「期待権侵害論」を否定した。最高裁はこの法益を「国民の生存権に基礎を置く権利」と位置づけているのである。それがいつの間にか下級審では「生存についての期待権」と曲解されるようになっているように思われる。
  もし相当程度の可能性論がなければ、裁判官は今でももっと真剣に因果関係の存否について悩むだろう。良心的な裁判官であれば、過失はあれども因果関係の証明がないから全面請求棄却という判決はなかなか書けないだろう。相当程度の可能性論は、①裁判所から因果関係についての厳密な考察の動機付けを奪う、②弁護士や裁判官から因果関係の立証軽減の工夫をしようという動機付けを奪う、③和解水準の著しい低下をもたらす、④低額の認容判決や低額和解が多くなると医療機関は訴訟を選択するから訴訟前の示談による解決を困難にする、等の弊害をもたらしている。相当程度の可能性論は今となっては医療過誤訴訟を蝕む麻薬のような理論だと思っている。
  先日ある地裁で請求棄却判決を受けた事件で、私は敢えて最終準備書面で「相当程度の可能性侵害による慰謝料請求はしない」と明示した。和解すら試みない以上おそらく裁判所は相当程度の可能性侵害で低額の一部認容判決をするつもりだろうと考えたからだ。因果関係について条理にかなった判断をして欲しくて敢えてそのような方法をとったのであるが残念ながら請求棄却されてしまった。年末には仙台高裁で肝硬変患者の経過観察中一度も肝癌の検査を行わなかったという事案で、相当程度の可能性侵害を認めながら慰謝料100万円の判決を受けた。秋田高裁では血圧が60に低下し乏尿になってもショック治療を行わなかった事案で、過失すら認められずに敗訴した。医療過誤訴訟は氷河期を迎えたように感じている。
  過失があっても100~200万円しか得られないとなれば誰も死亡事故で医療過誤訴訟などやろうとはしないだろう。この傾向が続けば医療過誤訴訟は成り立たず、患者の救済の途が閉ざされてしまう。

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